シンテグレートの沿革#1

シンテグレート・ジャパン代表の渡辺です。

シンテグレート・ブログもそこそこの投稿数になりましたが、技術的なことは社員にまかせて、私は会社や業界のことを中心に書いていきたいと思います。まずはシンテグレート・ジャパンの沿革を紹介したいと思います。2015年の創立ですので6年しかありませんが、振り返るといくつかの節目がありました。今回は黎明期の2015~2016年に関してお話しします。シンテグレートと私個人の話が少し交錯しますがご容赦ください。

シンテグレート・ジャパン発足と株式会社ヴィック

シンテグレートは、ゲーリーテクノロジーズで経験を積んだアジア人が立ち上げた会社で、2013年に香港、2014年に韓国でそれぞれ法人が設立されました。日本法人の設立は2015年で、設立の前年に当時話題になった某大型案件のファサードのBIMコンサルとして呼ばれたのがきっかけと聞いています。

私個人を振り返ると、もともと日本でプロダクトデザインの仕事をしていましたが、2000年からロンドンで生活をしていくなかで、建築へと仕事の軸足が変わっていきました。幸運にもロンドン時代にリチャード・ロジャース(現RSHP)やマイケル・ホプキンス、HOK Sport(現POPULOUS)といった設計事務所のビジュアルの制作に多く関わり、その過程で建築に魅了されていきました。

ロンドンオリンピックスタジアムのビジュアルの仕事を最後に、2008年に英国から帰国して建築CGのクリエイターとして活動を始め、槇文彦さんや坂茂さんのビジュアルを制作する機会を頂き、とても充実した日々を過ごしました。そして2015年に法人化して「株式会社ヴィック」(https://vicc.jp/)として新たなスタートを切りました。

(左)World Trade Center/Richard Rogers Partnership (現RSHP) (右)London Olympic Stadium/HOK Sports (現POPULOUS)

建築のヴィジュアライザーとしては良い仕事に恵まれ、非常に忙しく充実していた一方、モノづくりの視点に立つと、実際に建築が建っていくプロセスから一番遠く、もっと現場に近い仕事をしたいと考えるようになっていました。また、私が手掛けていたものにはプロポーザル段階での仕事が多く、建築家のスケッチから直接モデルをおこしていくこともよくありました。その際にはジオメトリーの理屈を自分で考えて3Dにしていかなければなりませんが、個人的にはその作業が非常に楽しかったのです。

表参道けやきビル(施工BIM?)

そんな折、2013年に團紀彦さん設計の「表参道けやきビル」のプロジェクトに、ヴィジュアライザーとしてではなく3Dモデルで施工のサポートをしてほしいとの依頼を、辰(https://www.esna.co.jp/)という施工会社から頂きました。仕事の内容としては複雑な形状のRCの施工に必要な情報の制作でした。

まずは図面やスケッチアップのデザインモデルを参考に、設計会社や施工会社、サブコンと様々な協議をしながら施工用のモデルを起こしていきました。設計者による滑らかなサーフェスで生成されたオリジナルのデザインを、実際に施工するための様々な与条件を考慮しながら磨き上げていく作業です。今でいうとLODを100から300、更には500へ上げていくような仕事と言えるでしょうか。CG用のモデリングとは違う目的、プロセスがあり、とにかく間違ってはいけないと当時のモデリング担当と緊張しながら、すべての箇所を細かくピアチェックしていったのを記憶しています。

表参道けやきビル(2013)

この仕事は今でいうところの「施工BIM」になると思います。当時はBIMという言葉さえあまり一般化されていない時代で、私個人としても専門知識もない中で、モデリングの知識だけでなんとか与えられた仕事をこなすことが出来ました。このプロジェクトでBIMの可能性を感じ、さらにこのような仕事をしたいという希望がありましたが、当時はBIMを教えてくれる人はおらず、このままではBIMの専門家になるのは難しいと考えていました。

そんな折、シンテグレートの創設メンバーに誘われてシンテグレート・ジャパンに参画することになったのです。BIMに魅力を感じていたものの自分でBIMを勉強する環境もなく、「渡りに船」という感じで二つ返事でオファーを承諾しました。いきなり運営する法人が2社になりましたが、3Dテクノロジーの活用という点で共通していましたし、何よりお互いの存在を活かすことができると考えたのです。

私が加わった2015年の終わりごろにはすでに某大型案件はストップしていたものの、そのかわりに日建設計の海外案件のBIMサポートが始まっていました。この案件では日建設計の設計チームと連携しながら、BIMデータの作成と海外の設計チームやオーナーとのコミュニケーションを行っていました。この案件ではRevitが基幹ソフトで、Navisworksを使い干渉チェックや2D図面の作成を行いました。建築の形状としてはシンプルなものでしたが、このプロジェクトで素晴らしかったことは、海外のプロジェクトということもあり、BEP(BIM実行計画書)を中心としたBIMのマネージメントがしっかりあったことです。余談ですが、これは未だに国内では稀なケースではないでしょうか。弊社ではこの案件を、現在でも設計BIMのコンサルの事例として模範になるものだととらえています。

ちなみにこの頃までは現地(日本)採用の社員はまだほとんどおらず、韓国チームからの”移籍組”が中心でした。私自身もBIMの知見がまだまだ足りていない状態で、香港や韓国のディレクターに専門的なタスクは一任していた状態でした。

日建設計の海外案件

静岡県富士山世界遺産センター

2016年には坂茂さん設計の「静岡県富士山世界遺産センター」の施工BIMのサポートの依頼を受けました。ご存じのとおり非常に複雑なジオメトリーで構成された建築で、CATIAを基幹ソフトとしました。1人のコンサルタントを現場事務所に約半年滞在させ、現場で日々起こる問題をBIMで解決していきました。このプロジェクトで施工、製作との連携を経験することができたことは、後のファサード案件へと繋がっていったと思います。もちろんシンテグレートの香港と韓国のディレクターは、設計BIM・施工BIMともに経験を持っていた訳ですが、日本チームとしてはこの案件が施工BIMとしては初めてのプロジェクトでした。

面白いのは、このプロジェクトは私が個人事業主の時代(2014年)にプロポーザルのヴィジュアルを自分の手で制作しており、その後2016年に施工会社からBIMのサポートの依頼を受けている点です。このプロジェクトはまだまだ香港・韓国のディレクターに頼っていた部分もありましたが、私個人としても建設現場での仕事の仕方についての理解を深めることができました。また、外装の木格子部分ではRhinocerosとGrasshopperを使ってデータ制作を行い、BTL形式のファイルに書き出してファブリケーターと連携するという経験もすることができました。

静岡県富士山世界遺産センター

ちなみにこの頃は日本でのローカル採用が数人いましたが、日本人は私を含めて2人、社員数も5~6人でヴィックと併せても10人にも満たない小さな組織でした。築地の小さな雑居ビルのワンフロアをヴィックとシェアしていました。

この写真で左隅に写っている、小さな雑居ビルがこのころのオフィスです

黎明期の2年は、海外のディレクターにリードしてもらい、受注した案件をこなしながら会社のベースが形作られた時期でした。次回は一旦ヴィックについてお話ししようと思います。

kenji.watanabe

シンテグレート合同会社および株式会社ヴィックの代表。実はもう1社ファサード関連会社の取締役も務める。2021年より慶應SFCの非常勤講師。趣味は料理、キャンプ。旧車とくにジウジアーロ・デザインをこよなく愛す。

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