押山さんと考える、BIMと建築生産のこれから#3
押山さんとBIMや建築生産について議論するシリーズの3本目です。前回の記事では、日本の建築生産プロセスのよくないところに触れ、押山さんが考える改善方法を聞きました。今回は建築生産プロセスの時代性や、「押山方式」についていろいろと議論しています。前回記事はこちら
登場人物
建設業の時代性
押山: 僕のプレゼンの最後に、ここまでの議論を踏まえて、改めて時代ごとに建設業はこう変わってきたよね、という話をしたいと思います。まず戦後から2005年までは「協調の時代」と呼べると思います。これは発注者が強くて、発注-受注の2者での相互信頼もあった時代。そして談合があった時代、施工者同士がやり取りして価格を決めてた時代ともいえます。その後ゼネコン汚職事件などがあって、談合が社会的に受け入れられない土壌ができてきた。こうして協調の時代が終わっていきます。
蒔苗: なるほど。
押山: そして、2006年の日本土木工業協会による提言「透明性のある入札・契約制度に向けてー改革姿勢と提言ー」で、業界全体が公正性・透明性を向上させる方向に舵を切った印象があります。だから06年を「競争の時代」の始まりにしました。
蒔苗: これは「フェアに設計図を出して、それをもとに競争をして価格を決めようよ」って主旨だと考えればいいんだよね?
押山: です。ダンピングをやめよう、不適格な施工者をなくそう、公正な評価をしよう、という主旨ですね。
蒔苗: 建物をいい品質で作ることができる人を、公正に競争して決めようという流れができたということだね。その次の時代が2025年からになってるけど、「競争の時代」は2024年までで終わりってこと?
押山: いや、ここからは未来の話なのでw ここからは、僕やシンテグレートのような仕事ができてきたことで、次の流れが生まれるんじゃないかと思ってるんです。それは例えば、さっき言ったような経過・契約・BIMの3つを管理する第三者の登場かもしれない。だから次の時代を「調整の時代」と名付けました。
蒔苗: 発注者に対して複数の受注者が競い合う、競争原理だけで価格が決まるのが「競争の時代」だったんだよね。未来のやり方はそうではなく、発注者と受注者の間に第三者が挟まって、調整をすることになる。そういう時代がこれから来るべき!っていうことか。
押山: そうですね。そして、第三者による調整を可能にする技術が日本のBIMなんだ!って言いたいわけです。日本におけるBIMって「調整」のために使うべきなんです。
石原: そういえば芝浦工業大学の志手先生も同じようなこと言ってるよね、日本の建設業はインテグラル型だから、という…
(編注:こちらの論文を参照のこと https://cir.nii.ac.jp/crid/1520572359105015552)
蒔苗: 個別の業者の独立性が高い「モジュラー型」ではなくて、関わる主体全員ですり合わせを行う「インテグラル型」が日本の建設プロセスの根本思想になっている、的な話でしたっけね。
押山: 「モジュラー型」を追求しようとすると、関わる人それぞれのやり取りの仕組みを整えるために標準化や互換性を推し進めることが必要になりものすごい大変です。。これは標準化と互換性の歴史を描いた「「ものづくり」の科学史 世界を変えた《標準革命》」を読むとイメージが付きやすいと思います。そしてそもそも「インテグラル型」の建設プロセスが根付いている日本では、さらに労力がかかりますし、できる人がいないと思うんですよ。
蒔苗: ちょっと整理すると、発注ー受注の相互信頼で成り立っていた「協調の時代」でも、受注者相互での「競争の時代」でも、建設業の透明性の低さは解決されなかったということなんだね。そしてこれからの「調整の時代」では、第三者が建設プロセスに入る。そうすることで予算やプロセスの透明性が確保できるんだ!って感じなのかな。
押山: そうですね。
蒔苗: そういう発注方法をみんなが使うべきだという考え方?そのやり方じゃないと公共建築が建たないように制度化するべき、みたいな?
押山: いえ、必ずしもみんなが使わなくてもいいと思っています。用途によってはゼネコンが設計施工一括でやった方が早くて安くできる建物もあると思いますし、そのやり方は発注者が決めることです。問題は、発注方式に選択肢が少ないことだと思います。プロセスや予算の透明性を求める発注者は、第三者的な人が介在する発注を選べるようにするべきだと思う。選択肢を広げることがスタートになるんじゃないかな。
壁谷: 押山さんは、戦闘的・革命的な変化はあんまり望んでないんですね。少しずつ広めたいな、と。
押山: そうです。そして、こういう仕組みを作ることで30年前から言われている日本の建設業の問題を、少しは解決できるんじゃないかと思っています。やはり透明性・公正性が欠如していることの問題は大きくて、例えばザハの新国立競技場の問題。最初は1300億だったのが2600億に膨れ上がったわけですよね。
渡辺: こういうことってずっと考えてたの?
押山: 会社を作ったときから時からずっと考えてたんですが、最近ようやく古坂、草柳の議論を参照して整理できた感じがします。こういう風に言葉で整理するのはやはり大事ですよね、そうじゃないと発注者も国も聞いてくれないんですよねw
入札前までの労力=コスト
壁谷: 現状だと、DrawingXを描いていてこれからも描けるのってゼネコンですよね。専門知識を持っていて実施~生産設計に向けて調整ができるのって、日本ではゼネコンしかいない。
押山: それが日本の構造のかなりいびつな所だと思ってます。もしゼネコンがDrawingXを描くとすれば、一旦その業務は入札前で終わって、施工はまた別の仕事、入札によって決まる、という状態にしないといけないと思いますね。
壁谷: 難しいなと思うのが、現状だと入札って建築プロジェクトの早い段階にあるじゃないですか。そこで事業、お金、発注者が決まって、それに基づいてプロジェクトが動き出すことになっている。
蒔苗: 要はコンペですよね、建てたいものがきまっててそれに対して安く、いいものを建てられる人に決まるっていう。
壁谷: だから押山さんの提案しているプロセスを現状でそのままやっちゃうと、お金や労力をめちゃめちゃ費やしたのに、入札で落とされるチームや会社がいっぱい出てきちゃうんじゃないかなと。
蒔苗: これは建つレベルの何百枚もの図面を、いくつもの会社が1セットずつ描くんだけど、そのうち1案以外は無になっちゃうってことですよね。
壁谷: そうですねw 現状だと設計の案だけでコンペをやってるので、設計事務所はもちろん負けたら損するんだけど、その損の額が押山案と比べるとまだ小さいと思う。
蒔苗: 押山さんのやり方で負けちゃうと、「かけた労力をどうしてくれるんですか!200人日かかってるんですよ!」みたいな人が出ちゃいそうですよね。
渡辺: 確かに、負けた瞬間会社潰れる!的なことになりかねない…
壁谷: 損害の金額が2ケタ増えるイメージですよね。
施工ミスの責任を誰が取るのか?
石原: ほんとに押山さんがいうような業務分離が起こったときに起きるのは、ゼネコンが「CM業者的な人が設計を精査して図面の整合性をチェックしてるっていうけど、その責任は取ってくれるんですか?」って言うんだと思う。
蒔苗: なるほど。
石原: 「我々は請負で工事をやるんです、何かあったときに品質保証をするのは我々です。生産設計をできる人がいますって言うけど、その人たちは何をしてくれるんですか?実際雨漏りしたら修理代出してくれるんですか、施工ミスの保証をしてくれるんですか?」って。実際の業務では施主はこういう役割をゼネコンに求めて、生産設計者の方には求めないよね。だから契約形態が変わっても、結局建物への責任をもつ主体はゼネコンになっちゃうし、彼らが損をする仕組みの導入は進みづらいんじゃないか?というのが個人的に思ったこと。
吉岡: モノを作る責任はゼネコンが負うから、それを作るための準備もゼネコンがやります、みたいな感じですかね。
石原: 日本人はこれまで、サービスや技術に対してお金を払うという感覚を持つことができてないように感じる。モノを作った人がすべてだから、モノを作った人間が責任を負うという考え方しかできないんじゃないかな。
壁谷: 住宅の設計なんかもそんな感じですよね。設計料は安くて、できた家に対してだけお金を払っている感じがします。
蒔苗: 例えばイギリスの場合は、建った家にトラブルがあったら設計者が責任を負うんですよね?
一同: そうそう!
押山: DrawingXを描く組織がどういう責任を負うのかは一つのポイントになりますよね。彼らがリスクの何割かを負うのかとか、それは施工者とどのくらいの比率なのかとか。
蒔苗: 少なくとも監理業務があるわけだから、絶対に設計者・監理者には責任があることになるよね。
押山: そうですそうです。それは設計者、施工者と第3者に、緊張関係を持たせるような契約を作る必要があるってことだと思う。
蒔苗: で、石原説では、図面を描いただけで責任を負う形が日本にはなじまないのでは?ってことなんですよね。
押山: 例えばちゃんとした図面があってその通りに施工して、それなのに雨が漏った、ということだと、施工者は別に悪くないですよね。けど図面通りにやってないじゃん!ってなったら施工者の責任になる。当たり前の話ですけど。
吉岡: お金の話をすると、現状では図面書いた人と施工する人では入ってくるお金が違うじゃないですか。だから図面書いた人が責任を負うっていうルールだと、どんどん破産しちゃう人やつぶれる会社が出てくるんじゃないですか?
渡辺: そこはお金の配分を変えるしかないよね。
吉岡: 設計者のもらうお金を高くしないと成り立たないですよね、精度高い図面を描くっていう責任を持つことで。
石原: かつ、保険にも入らなきゃいけない。
押山: それはCMやる人も同じですよね。そもそもこういう体制をまず作れるかの問題かもしれないですけど…
蒔苗: 今はこうすべき!っていうべき論を語ってるわけだからw
渡辺: うちがザハの某仕事を手伝ったときにびっくりしたんだけど、工場に建材の確認に行った時にめちゃめちゃ気合い入れてみるし、気合い入れて質問していた。さらに、その確認作業を2回もやったわけ。当時は建築業界のこともわかってなかったから「なんでこの人たちデザイナーなのにこんなに気合い入れるんだろう?」と思っていたけど、設計者が責任をとる仕組みがあると知った後だと納得できるな。
蒔苗: 責任が全然違うんですね。
CM/GC方式
石原: 押山さんの図のやり方に近いものに、CM/GC方式というものがある。設計段階からゼネコンが参加するんだけど、そこではあくまでCMとして活動する。設計段階ではゼネコン=CMが設計者に施工レベルでのアドバイスをしたり、コスト面の問題が出そうなら設計変更の提案をしたりするんだよね。設計が完了した段階でゼネコンのCM業務は終わり。施工ではいわゆるゼネコンとして仕事する、というもの。
吉岡: 施工での契約をとれるのがわかってるから、設計段階でCMとしてちゃんと働けるってことですよね。
蒔苗: それって例えば、設計段階で専門工事業者が早めに呼ばれるのとは違う?設計段階から技術的に難しいことを試みてる場合、早い段階で技術力のある専門工事業者を呼んで、検討に関わってもらうことはありますよね。
石原: 設計段階での検討作業への支払いがあるのが大きな違い。専門工事業者の例だとタダで営業として仕事をすることになるし、その段階ではまだ契約が発生しないけど、CM/GC方式では設計段階からちゃんと契約をしている。
渡辺: その場合、GCがCMとしてやったことが正しいかどうかは誰が判断するの?
石原: それは話が逆で、設計者がやってることを正しいか確認するのがCM=GCです。そもそも設計は設計者と発注者だけでやるものだったんだけど、そこにゼネコンが参加するのがCM/GC方式。だから、ここでのゼネコンは設計者を見る第三者、って感じの立場になりますね。
渡辺: そうか、ここでのCM=GCは設計の正しさを見てるんだね。
石原: それに加えてコストの正しさも見てます。あまりにも非現実的なコストになってないかどうか、設計段階で見るのもCM業務の内なので。
押山: そもそもゼネコンも入札の時、よくわからない図面を持ってこられても、それをもとに建設費を算出するリスクが高いじゃないですか。そういう経緯でこの発注方式ができたのかもしれませんね。
それぞれの役割を誰がやるのか?日本のCMの役割
渡辺: 押山方式だと、それぞれの作業をやるのは誰になるんだろう?
押山: 設計は今までと同じく設計者ですね。
石原: この「第三者組織」はやっぱりCM業者でしょうね、既存の枠組みの誰かがやるってなったら。
押山: そうですね。CMの役割って、今後これからすごい分岐すると思うんですよ。いろんな役割のうち、どこが強いCMか、みたいな話になってくると思う。そういう時に「我々は他のCMさんとはちょっと違う方式を採用してるので、よりよい感じで建ちます」みたいな、そういう売り出し方になるんじゃないかなと。
蒔苗: この図で押山さんの役割はどこになるんだろ?今までだったら生産設計になるんだろうけど…
押山: 「今後」の図だったら、僕がやるのは完全にDrawingXの作成ですね。
壁谷: それだとCMにくっついて仕事をするってこと?
押山: そうですね、CMとコラボするみたいなことはすごくあり得る。CMの補助として、契約とBIMデータの管理をするようなイメージを持ってました。
蒔苗: なるほどー。
石原: ただ、現状のCM業者が日本で何やってるかってことを考えると… その活動はほんとにうまくいくのか、ってのはちょっと疑問ではあるな。
押山: いや、まさにそこがすごい悩むポイントです。
石原: CMはやることのパッケージが大きくなりすぎて、結局施主側の不足してる能力の補足を全部やろうとしてるように見える。だから発注者の「僕たちどんな建物を建てたいのか、そもそもよくわかってないんですよねw」みたいなことのにも付き合い始めちゃって…
押山: そう、そういうのがCMの仕事って印象がありますよね。
石原: そこで力尽きてて、建設を円滑に進めるための情報の整理までできてない感じがするんですよ。建設を効率化するとか、透明な発注のために情報を整理するとかの、ほんとに意味のある仕事をやる元気もなければ時間もない。
押山: 今後もできるのかどうか、ちょっと疑問…
蒔苗: やろうと思えばできる能力はCMの人たちにはあるんですか?
石原: 人によるかな… CMにはゼネコン出身の人と設計の人がいて、ゼネコンの人にはあるはずなんだよ。発注のプロセスをやったことがあるわけだから。
押山: そうですね。今、CMの人がゼネコンに色々と依頼することがあるとも聞きます。
石原: 海外物件だと、ゼネコンがCMとして入ってたりする。総合図を描くのをCM業者として雇われたゼネコンがやるらしいんだよ。設計事務所から図面をもらって、総合図をゼネコンがCM業者として描いて、それを分離発注して専門工事業者に流すということをしているらしい。
蒔苗: へえー
石原: 役割はほぼ日本のゼネコンなんだけど、名前はCM業者になって、東南アジアで仕事してる、みたいな。だから、彼らには総合図をまとめるCM≒押山方式での第三者の仕事ができる能力はあるんだよ。でも日本国内には日本のゼネコンがいて、彼らが総合図の取りまとめをやっている。だからそんな役割の需要がない。逆に需要があるのは、発注者の「僕何したいかわかんないんです」っていうのに付き合う方。そっちの方がお金がもらえるから、日本のCM業者はほぼそっちに行っちゃってる。
押山: 日本の発注者は世界的に見ても発注能力が低いと言われているらしいんです。例えば、日本の国土交通省が建てている物件のほとんどにCM業者が入っている。これはCMが入らないと高品質で建てられないことの傍証になってると思います。
壁谷: なるほど。
押山: で、そのCMの仕事は「なに作りますかね」とかっていう企画と、どう発注するか、発注仕様書ををまとめること。それから後ろはもうやらないんです。その前の段階で俺らの業務は終わってるっていう前提ですから。
吉岡: 日本ではDrawingXのボールをゼネコンが握ってるせいで、CMはそっちを取りにいけない。さらに発注者がDrawingXの存在と重要性を知らないし理解していない、ってことですね。
今回はここまでです。次回は「押山方式」の他の問題や、建設テック企業が抱える問題について話しています。お楽しみに!