シンテグレートの沿革#3
シンテグレート代表の渡辺です。今回は前回に続いてシンテグレートの沿革の第3章です。1章では会社の立上げ経緯、2章では日本チームの独立に関してお話ししました。
この章では更なる業務範囲の広がりについてお話しします。
ファサード業務の蓄積
まずはファサード案件です。2章の終わりに全体の業務の半数を超えるまでになっていたとお話ししましたが、その後も増加の一途でサブコンだけでなくゼネコンからも直接プロジェクトをいただくことも増えてきました。
「日本のスポーツ団体事務所集積ビル」という新国立競技場の脇に竣工した大きくひねられたガラスのファサードが特徴的なビルのプロジェクトでは、フラットガラスをひねったまま枠に入れて固定するという、日本では初となる「冷間曲げ」施工のための難しいシミュレーションを行いました。東京オリンピック&パラリンピックでよくテレビに登場していたのでご記憶の方も多いのではないでしょうか。
別のスポーツ施設で「某クラブハウス棟」という、千葉県の湾岸エリアにできた某スポーツの日本代表クラスが練習に使用する施設のプロジェクトでも、施工段階での様々な検証を行いました。この2つの案件で共通していたのは、施工や製作上の制限から初期のデザインをそのまま実現することが難しく、形状の定義からやり直すことになったことです。どちらもデザインの意図を守りながらも、施工可能な形状や納まりに変換していく作業です。設計者、施工者双方の意図を把握しながらベスト解を出さなくてはなりません。この頃にはそういったバランス感覚がかなり身についてきたように思われます。
さらに案件が大きくなり「ところざわサクラタウン」を1.5年ほどやり、さらには現在も進行中の総勢10名ほどで対応する超大型案件を受注するにいたりました。このプロジェクトに関してはいつかその成果を公表できればと思います。
BIM導入のサポート業務
2019年からは「BIM導入サポート」と「開発」が始まりました。それまではBIMのプロジェクトサポートをひたすら行っていましたが、それ以外の業務の依頼がはじまりました。まずBIM導入サポートです。
日本のBIM元年は2009年と言われています。大手の設計事務所やゼネコンがまずBIMの導入を先導しましたが、いまだに本格導入に踏み切れていない企業も多くあります。自社内で「BIM推進室」を立ち上げたものの、実効的なアクションまで至っていないことも多いようです。
この年からシンテグレートでBIM導入をサポートさせていただいたケースでは、まず3年の計画を立てて、慎重かつ確実に導入を進めて行きました。まずは建築設計チームから導入を始め、構造、設備といった範囲に広げ、数件のパイロットプロジェクトで経験を積み、最後は協力会社までで拡大していきました。成果は良好でクライアントにも喜んでいただきシンテグレートとしても非常に良い実績となりました。
開発業務の始まり
同時に「開発」案件も始まりました。アルポリックという50年もの歴史のあるアルミ複合板のサプライヤーである三菱ケミカルホールディングスから、自動割付ツールの開発をしたいという依頼を受けました。弊社はダッソーシステムズと関係が深く、建築分野では日本でほぼ唯一の、CATIAを使ったサービスが出来る会社と自認しています。この案件では他のソフトウエアベンダーとの競合のなか、CATIAの有効性をアピールして仕事を受注することができました。
CATIAはこれまでファサード案件で使用していたのですが、建材メーカーに対する自動割付ツール開発というシンテグレートにとっても新しいチャレンジになりました。CATIAの特徴、有効性は今後紹介していきたいと思います。
加えて、VRベースのデザインシミュレーターの開発もこちらから提案して受注することができました。これは設計者をはじめとするユーザーが、自分で見たいアルポリックの製品を選び、カメラや時間を自由に動かして仕上げの確認ができる「動的な電子カタログ」になります。http://www.alpolic.com/japan/news/20210120_02.pdf
より詳細にプロジェクトについて知りたい方は、ブログの以下の記事をご覧ください。
この2つのプロジェクトは、シンテグレートにとって初めての本格的な開発業務となりました。至らないことも多かったのですが、建築業界におけるBIMのこれまでの知見、ソフトウェアやプログラミングの知識のあるシンテグレートだからこそできた関発だったと思います。
まとめ
2019年くらいからプロジェクトサポート、BIM導入を含むコンサルテーション、そして開発という現在につながる3つのタイプの仕事をするようになりました。それに伴いプログラマーやVR開発者といった幅広い人材がメンバーに加わりました。現在ではヴィックも併せて総勢23名になり様々なスキルを持った人材がいます。
また、私以外は非常に若いメンバーばかりでしたが、彼らを技術的にまとめてリードしていける経験豊富な人材もイギリスから招へいしました。日本の建築業界でのシンテグレートの立ち位置を理解できてきたのもこの時期です。
メディアに取り上げていただくことも増え、2020年の終わりには日経アーキテクチャーが選ぶその年の10大建築人なるものに私が選ばれるという珍事まで発生しました。さらには2021年からは慶応SFCで教鞭をとることにもなりました。
2015年の立上げからすると信じられない状況ですが、同時に23人相応の組織の体をなしていないところも顕在化してきており、様々なアップデートに取り掛かっているところです。技術進歩のスピードがどんどん加速していき今日の標準があっというまに古くなってしまうこの時代に、生き残っていける組織にしなければならないと考えています。
また、日本の技術的な優位性も年々も怪しくなっているなかでグローバルな競争に出ていかざるを得ない状況もあります。会社としての本当のサバイバルはこれから始まると言えるでしょう。次回は私の考えるシンテグレート+ヴィックのカルチャーに関してお話ししたいと考えています。